読書感想文12「真説 日本左翼史」

池上さんの本なので簡単そうだと思って読んでみました。

 

以下参照です。

 

「この論争(日本資本主義論争1930?)以来、日本のマルクス主義者は講座派の系譜と労農派の系譜に大別されることになり、講座派は日本共産党、労農派は戦後結成される日本社会党の理論的支柱になりました。(中略)講座派は当時の日本の支配体制を、「全体主義的な天皇制」「地主的土地所有」「独占資本主義」という三者が分かちがたく結びついた体制とみなし、まずは天皇制を打倒する人民革命を起こして普通の資本主義国、つまりは三井や三菱のような財閥・巨大企業が支配する時代を作る必要があると主張しました。(中略)それに対して労農派は、明治維新が不完全ではあったものの欧州のブルジョワ革命に相当するものであり、日本はすでに資本主義国になっていると考えました。」

(私は労農派の方が好き。)

 

向坂逸郎は第一次人民戦線事件(1937年)によって九州帝大の教授を辞任させられた後は改造社の『マルクス・エンゲルス全集』の編纂・翻訳に取り組みましたし、投獄・保釈を経て言論活動を禁じられてからも、小さな畑を耕しての自給自足生活のかたわら匿名でドイツ語の書籍を翻訳していました。」

(この人は非共産党マルクス主義者「労農派」。)

 

「今度は財界が、このままでは社会主義革命を起こされかねないという危機感から自由党民主党に一緒になることを必死で働きかけ、これにより自由民主党が結成されました。いわゆる55年体制の完成です。」

(左派の隆盛が、自由民主党の結成理由だった!自民党に何の思想もない理由がよくわかるw)

 

共産党が暴力的な路線に走ったことで一般の国民から遊離してしまい、それまでは共産党に惹かれていた人たちが一気に社会党支持者になっていった。」

(上記の社会党左派の隆盛につながる。日本人は暴力革命は似合わないと思う。)

 

「ロシアのニヒリズムは、体制側にあるものや立身出世にかかわるものを激しく憎悪することに特徴があり、この思想のもとでは芸術なども農民からの収奪により成り立っているとして否定されます。それと同時に大多数の国民・農民は受動的でバカなのだから変えようとしても変わらない。しかし権力者に対してはそれがだれであるかにかかわらず従順なのだから自分たちが権力を掌握しさえすればいいという発想にもなってくる。そしてこの発想はボリシェビズム、つまりレーニンの革命思想にも引き継がれています。」

(我は目覚めし者、我が世界を変える!←面倒で、関わり合いになりたくないなあ。ゆがんだエリート意識。)

 

 

この本に書かれている内容から判断すると、どうも共産党というものは、初期の段階からいたずらに攻撃的で、あっさり権力(GHQ)に懐柔されたり、ゆがんだエリート意識があったりで、庶民の支持を失っているように思います。

 

逆に55年体制を作るぐらいに勢いのあった社会党は、平和主義的で、自分の意志を曲げないで、さまざまな人間のごった煮のような状態だったのだと思います。ゆえに庶民から支持をされたのだと思います。