やはりと言いますか、最近韓国文学が流行っているようです。
NHKでも特集をやっています。
自分自身を振り返ると、ギルティギアのクムヘヒョン、dbdのトリスタ、ロボトミーコーポレーション、半地下の家族、BTSなどに触れていて、もともと好きだったところに、「あなたは正しい」に出会った感じです。
takahire-hatene.hatenablog.com
韓国の現代文学が日本で受けている理由はいろいろあると思うのですが、私個人は、
①切実な問題があって、切実に答えようとしている。
②韓国のことを知りたい。
③日本と文化が似ている部分がある。(儒教系、個人主義ではない)
これらが主な理由だと思っています。特に、日本の本は、あくまで研究の対象だったり、党派性が透けて見えたりで、韓国文学と比べると、切実さを感じないように思います。
そのような韓国文学がマルクスについて語ってくれるということで、マルクス勉強中+マルクスブームの私は、即座に本を購入してみたわけです。筆者は韓国の女性編集者で子持ちの主婦です。
以下参照です。
「編集者は原稿を期限内に送った私をほめてくれたが、実生活では私と親しくなかった。仕事で会って何度か食事をしてお茶もしたし、メールと電話を何度もやり取りしたけれど、プライベートでは少しも親しくならなかった。その人がプライベートで親しく付き合っている作家はみな、学校を卒業すると同時に専業作家になった人たちだった。締め切りも守らず、ともすれば雲隠れするその作家たちと幼なじみのように仲良く付き合っているので、仕事をとおして出会ったかれらが一体どのようにしてあんなに親しくなったのか、とても不思議でうらやましかった。」
(現代社会のおっさんが友達が少ない問題を解決する文章。相手が女性でハイソで子持ちの主婦で韓国人でも参考にすることができる。カンダー。資本主義は友達を作りにくい。損得で友達にはなれない!)
「お金(資本主義)が果たした役割、つまり、数千年の間ガチガチに受け継がれてきた男性優越主義という慣習をいっぺんにぶち壊した、その強大なパワーを知ったとき、一発ガツンと殴られた気分だった。資本主義の発展という原動力がなかったならば、果たして女性運動だけで女性が今の地位まで来ることができただろうか。」
(男の下にいろというルールは、全てを壊す資本主義によって、破壊される。その方が女性はうれしい。)
「かれらには、大声を出し、扇動し、自分の権利を失わないように全力で立ちむかってくる女性たちを統制し、鎮めることができる一発が必要だった。だからといって、むやみに弾圧することはできないので、適切な大義名分をまとった、もっともらしい方法が必要だった。それがまさに魔女狩りだった。神の名前を売ればどんなことでもできた時代の雰囲気を笠に着て、普通の女性たちを魔女に仕立てあげ、死に追いやったのだ。」
(魔女狩りは、その規模や原因などは究明されたことがない。筆者は「本源的蓄積」(マルクス用語、資本主義の最初のタネ銭)の犠牲になった説を述べている。)
『革命のポイントゼロ』シルヴィア・フェデリーチ
「私たちは、資本がわれわれの労働を目に見えないようにさせることに大いに成功したという事実を認めないわけにいかない。資本は女性を犠牲にして真の傑作を生み出した。家事労働に対する賃金の支払いを拒否し、家事労働を愛の行為に変えることで、いくつもの成果を収めた。まず、とんでもない量の労働をほぼノーコストで獲得し、女性たちに ーこれを拒否する闘争を起こすどころかー 人生最高の仕事として家事労働を追及させたのだ。同時に、資本は男性労働者の労働と賃金に依存させることで男性労働者をも統制した。」
(マルクスの資本論に対する批判。世界は資本家と労働者で構成されるのではなくて、資本家と労働者と女性で構成されている。どうでもいいですが、フェデリーチさんの書く文章はマルクスっぽい。)
この本は、マルクスを賛美した本ではなくて、マルクスに批判的な本だと思います。しかしそのフェミズムの観点からの批判は非常に的を得ていると思います。
「蘭学は大きなうねりをもって動き始めたのだ。もうとまらぬ、、、どのような障害も時代を後戻りさせることはできぬ。それが文化だ。それが人間というものだ。」
上記のセリフは、幕府が昔の権威を取り戻そうと蘭学の取り締まりを強化したときのセリフです。
資本主義という眼前に広がる脅威と、フェミズムといううねり。なかなか我々はおもしろい時代を生きているのだと思います。