論語論語「待ち構える男」

自分が中年ぐらいになってくると、20代、30代の若者と仕事の話をするときに、自然と上から目線になったり、分からないことを聞くときでも、偉そうに聞いてしまうことは誰でもあると思います。

 

自分が20代の時に、上の人に偉そうにされても、そんなに気にせず、年を取り自分が権利を手に入れたらそれを行使する。いわゆる、「年長者は敬う。」という価値観。

 

ふと、50ぐらいの人に偉そうに質問されて、いらいらしながら回答したときに、「これを年下の人にやっていいのか?」と疑問に思いました。

 

「年長者は敬う。」という儒教的価値観。孔子先生は、年長者は無条件に敬えと言っているのでしょうか?

 

原壌、夷して俟つ。子の曰わく、幼にして孫弟ならず、長じて述ぶること無く、老いて死せず。是を賊と為す。杖を以て其の脛を叩つ。

『先生の古なじみでろくでなしの原壌が立てひざで坐って待っていた。先生は「幼いときはへりくだらず、おおきくなってもこれというほどのこともなく、年寄りまで生きて死にもしない。こんなのが賊なのだ。」と言われると、杖でその脛(すね)をたたかれた。」』

 

孔子先生は原壌に対して容赦がなく、「なんで生きているんだ?」みたいなことを言っていますwしかも杖で叩いていますwここまでいくとある種の友情というか、孔子先生が心を許している感じすらします。

 

結論といたしましては「長じて述ぶること無く」な私は、あまりえらそうにするのは自重しようかと思います。