読書感想文22「恐竜の道を辿る労働組合」

タイトルに惹かれて、読んでみました。

(恐竜みたいに大きくなりすぎて、隕石みたいな環境の変化に対応できずに滅ぶ?!みたいなのを想像していましたが、どちらかと言うと、座して死を待つの方が近いようにも思いました。自分もブログ書くと、タイトル詐欺したくなるから許す!)

 

以下参照です。

「企業経営者はその行動の結果が業績に表れるから、思い違いを悟る機会を持ちえる。政治家は選挙で落選した時、自らの驕りに気づく場合が多い。ところが労組リーダーは外部的な業績評価にも選挙にも晒されないので、独善に陥る可能性が非常に高い。(中略)労組リーダーたちと長い間付き合ってきた日本経団連事務局長の一人は次のように話している。「社会も企業も最近30年で大きく変わったのに、労組は、組織の構造も内部の空気も、驚くほど旧態依然としている。それに幹部は、相変わらず、金使いが荒い。多少、意地悪く言えば、貴族の御曹司か孫を見ているような感じだ」」

(我々は、企業の上層部というと、楽してるようにも感じるが、当然、業績がダイレクトに来るわけで、困難に対処したり、非常な決断したりはやっている人たちなのだ。そのような人種と渡り合うことを考えた時に、労組の幹部というのは非常に頼りない。)

 

「(前略)いま、日本の社会ではありとあらゆる分野においてエゴが充満している。その結果、あらゆる分野において、無理をしないことがいいことだいうふうにされていて、そういう自分中心の無理をしないという社会現象となってきていて、それが社会のあらゆるものに対する活力を失わせておるのではないかなという気がしている。それがいまの危機的現象を引き起こしている。ありとあらゆる分野においてそうだと思うが、労働組合がいろんな運動をする時の一番根底、深層みたいなところにそれがあるんじゃないかなという気がしている。日本国民の意識の中で、物の豊かさを得る代わりに、心の豊かさ、倫理観、志の力というものを失ってくるという結果となって、活力というものが、特に労働組合運動の中においても、失われてきたというのが一つの大きな現象ではないか。

 正しい方向を示しても、活力のないところにはエネルギーがない。だから、労働組合運動を通じて、活力をどうわが国の社会に吹き込んでいくかということがないといけない。

 また、弱さを持っている人間の方が、そういうモラルとか道徳観、あるいは心の豊かさに対する憧れというものを、むしろ弱者であるがゆえにこそ持っているのではないか。」

中坊公平先生(元弁護士連合会会長)の意見。現在社会で、真剣に賢明に生きている人というのは中々出会えないと思う。それこそ、がんの方の闘病記とか、全身が不便な障害者の方の本とかを読まないと生きることの尊さ、大変さ、素晴らしさは見えてこないと思う。そのような状況では必然として、命の軽視、他者の軽視、そして自己の利益の追求が始まるのだと思う。)

 

むむむ、って感じですが、私がハテナで面白いと思うブログを書く方は、

賢明に必死に生きてる方なので、自分が良いと思う生き方をしたいですね。