読書感想文11「カール・マルクスー「資本主義と闘った社会思想家」」

資本論を読んでみようとしたのですが、難解でした。なので、外堀から埋めてみようと思いまして新書サイズのこの本を読んでみました。

 

 

「仕事のできる瞬間はすべて私の著作[『資本論』第一巻を指す」を完成するために利用しなければなりませんでした。この著作のために私は健康もこの世の幸福も家族も犠牲にしてきたのです。……もし人が牛のようなものでありたいと思えば、もちろん人類の苦しみなどには背を向けて自分のことだけ心配していることもできるでしょう。しかし私は、もし私の本を、少なくとも原稿のかたちででも、完全に仕上げないで倒れるようなら、ほんとうに自分を非実践的だとかんがえたでしょう。(1867.4.30のジークフリート・マイアー宛の手紙)」

マルクスは子供を3人亡くしている・・・)

 

 

「たとえある社会が、その社会の運動の自然法則への手がかりをつかんだとしても ーそして近代社会の経済的運動法則を暴露することがこの著書の目的であるー その社会は、自然的な発展諸段階を跳び越えることも、それらを布告によって取り除くこともできない。しかし、その社会は生みの苦しみを短くし、やわらげることができる。(『資本論』第一巻初版序文)」

マルクスは革命思想のように言われますが、少なくとも資本論は革命の書ではない。)

 

 

「貨幣は、人間の労働と人間の現存在とが人間から疎外されたものであり、この疎遠な存在が人間を支配し、人間はそれを礼拝するのである。(「ユダヤ人問題によせて」)」

(働いているときに、「俺は人間だぞっ」って思うことありますあります。)

 

 

「人間は宗教から解放されることによってはじめて人間として解放されうるというバウアーの主張は正しくない。むしろ、宗教は、現実世界における人々の苦しみの表現である。人々が宗教を信仰し、空想的な幸福を追求するのは、現実世界で苦しみ、現実的な幸福を実現することができないからだ。その意味で、宗教は人々の現実的な苦しみをやわらげる「民衆のアヘン」なのである。だとすれば、宗教からの解放は、宗教の批判によっては完遂されない。それは、現実世界において人間らしい生活を取り戻すことによって実現されなければならない。」

(「宗教は麻薬」という言葉だけが独り歩きをしていて、マルクスの思想は理解されていない。)

 

 

「自分を取り巻いている労働者世代の苦悩を否認するじつに「十分な理由」をもつ資本は、その実際の運動において、人類の将来の退化や結局は食い止めることができない人口の減少という予想によっては少しも左右されないのであって、それは地球が太陽に墜落するかもしれないということに少しも左右されないのと同じことである。どんな株式投機においても、いつかは雷が落ちるに違いないということは誰でも知っているが、自分自身が黄金の雨を受け集め、安全な場所に運んだあとで、隣人の頭に雷が命中することを誰もが望むのである。「大洪水よ、我が亡き後に来たれ!」、これがすべての資本家およびすべての資本家国民のスローガンである。それゆえ、資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんの考慮も払わない。」

(桐谷さんは悪い人じゃないと思うんだけどなあ。)

 

 

「本に挑戦する」ってことはなかなかないことだと思います。現在の社会にはアヘンも超えるような面白い娯楽にあふれておりますし、暇な時間は、プラスの事をしたいという感情はあります。

 

しかし今の時代を生きる上で、資本論を自分の身に取り込むことは、すごく重要なことだと思います。なんとか資本論を自分のものとして、「実践」していきたいと思います。