金(ゴールド)とは何でしょう? 資本論10

以下参照です。

「(略)、これらの有価証券の価格は、利子率とは逆向きに騰落する。利子率が5%から10%に騰貴すれば、5ポンドの収益を保証する有価証券は、いまでは50ポンドの資本しか表さない。利子率が2.5%に下がれば、この同じ有価証券は200ポンドの資本を表わす。その価値は、つねに資本還元された収益にすぎない。すなわち、幻想的な資本について現行の利子率に従って計算された収益にすぎない。したがって、貨幣市場の逼迫時には、これらの有価証券の価格は、二重に低下するであろう。なぜなら、第一には、利子率が上がるからであり、第二には、これらの証券が、換金のために大量に市場に投げ出されるからである。」

(二重に下がる。マルクスは投資の勉強になる。)

 

「だが、金銀はなにによって富の他の諸姿態から区別されるのか?価値の大きさによってではない。というのは、価値の大きさは、金銀に対象化された労働の量によって規定されるからである。そうではなく、富の社会的性格の自立した化身、表現として区別されるのである。(中略)しかし、信用がゆらぐやいなや ーそしてこの局面は近代産業の循環においてつねに必然的にやってくるー 、こんどはすべての現実の富が実際にかつ突然に貨幣すなわち金銀に転化されなければならない。それはばかげた要求であるが、しかし制度そのものから必然的に生じてくるものである。」

「しかし、それは(生産が社会的管理のもとにおかれていないことが、富の社会的形態は一つの物として富の外部に存在する形態で、はっきり表れること。)、資本主義制度においてはじめて、もっとも明確に、かつ不合理な矛盾と背理とのもっともグロテスクな形態で現れる。なぜなら、(一)資本主義制度では直接的使用価値のための生産、生産者たちの自家使用のための生産は、もっとも完全に排除されており、したがって、富は、生産と流通との絡み合いとして現われる社会的過程としてのみ存在するからである。(二)なぜなら、信用制度の発展につれて、資本主義的生産は、富とその運動とのこうした金属的制限、物的であると同時に空想的でもある制限をつねに取りのぞこうとつとめるが、繰り返しこの制限に頭をぶつけるからである。」

(資本主義の繁栄と言っても、それは危うい。生産が社会的管理のもとにおかれていない!そして、そんな我々が最後に信じる者は金(ゴールド)w俺は、洪秀全太平天国の乱)が金を飲み込んで自殺した話が好きだ!金本位制の廃止で人類は制限を突破したと思っていたが、現在も金の価格は史上最高値を更新している。人類の天井へのヘディングは今も続いているwマルクスの理論は色あせない。)

 

「ニューマンが、銀行家は尊敬されるのに、高利貸しが憎まれ軽蔑されるのは、前者が金持ちに貸し付け、後者が貧乏人に貸し付けるからである、と述べているのは、事態の陳腐な表現である(F・W・ニューマン『経済学講義』、ロンドン、1851年、44ページ)。ニューマンは、ここには二つの社会的生産様式のあいだの違い、ならびにそれらに照応する社会的秩序のあいだの違いが介在しており、事態は貧富の対立でかたづけられるものではないことを見逃している。貧乏な小生産者の血を吸い取る高利は、むしろ、富裕な大土地所有者の血を吸い取る高利と手をたずさえて進む。」

(ブラックジョークに潜む欺瞞をマルクスは見逃さない。)

 

「(潜在的な資本家として、財産はないが勢力、堅実さ、能力、および事業知識をそなえた男が、信用が与えられ、資本主義の元では正当に評価されるのだという経済学的弁護論者による絶賛の流れから)、それがどれほどすでに目の前にいる個々の資本家にたいして、望ましからぬ一連の新しい山師たちを絶えず戦場に引っぱり出すにしても、資本そのものの支配を強固にし、この支配の基盤を拡大し、この支配が社会の下層からのつねに新しい兵力によって補充されることを可能にするのである。それは、中世のカトリック教会が身分、素性、財産にかかわりなく、人民のなかの裁量の頭脳をもってその教階制度[聖職者の位階制度]を構成したという事情が、聖職者支配と俗人の抑圧とを強固にする主要手段であったのとまったく同様である。支配階級に、被支配階級のもっとも優秀な人物を仲間に加える能力があればあるほど、その支配はますます堅固でまた危険なものとなる。

(中世のカトリック教会の支配と現在の資本主義の支配、それぞれを危険な共通点をマルクスは見出す。)

 

「「十五年前に私は高利反対論を書いた。というのは、当時すでに高利は非常にはびこっていて、私にはなんの改善も望めないほどであったからである。それ以来高利は思い上がり、いまではもはや悪徳や罪悪や恥辱であることに甘んじないだけでなく、あたかも人々にたいして大いなる愛とキリスト教的奉仕とを施しているかのように、まったくの美徳であり、また名誉であると自慢するようになった。恥辱が名誉となり、悪徳が美徳となったからには、いったいなにに救いを求めたらよいのか」(『牧師諸氏に、高利に反対するように説く』、ヴィッテンベルク、1540年)」

(時代が変わっても、悪の典型的な型は、普遍。自分を正しいと信じて、弱者をむさぼる。)