マルクスの考える「少子化対策」

マルクス 資本論 1巻 第4分冊

第4節 相対的過剰人口のさまざまな存在形態。

    資本主義的蓄積の一般的法則 より参照です。長い。

 

 

「相対的過剰人口の第三のカテゴリーである停滞的過剰人口は、現役労働者軍の一部分をなすが、しかしまったく不規則な就業のもとにある。こうして、この人口は、資本に自由に使用することのできる労働力の尽きることのない貯水池を提供する。彼らの生活状態は労働者階級の平均的な標準的水準よりも低落し、まさにこのために、彼らは資本の特有な搾取部門の広大な基礎となる。最大限の労働時間と最小限の賃金とが彼らを特徴づける。われわれは彼らの主要な姿態をすでに家内労働の頂で知っている。彼らは、大工業および大農業の過剰労働者から絶えず補充され、ことにまた、没落しつつある産業諸部門 ーそこでは手工業経営がマニュファクチュア経営に、後者が機械経営に屈服するー から絶えず補充される。彼らの範囲は、蓄積の大きさとエネルギーとともに「人口過剰化」が進むにつれて、拡大する。しかし同時に、彼らは、労働者階級のうちで、自己自身を自己自身で再生産し永久化している一要素をなしており、労働者階級の総数増大にあずかる割合は他の諸要素よりも比率的に大きい。実際には、出生数および死亡数だけでなく、家族の絶対的大きさも、労賃の高さに、すなわち労働者のさまざまな分類が自由に処分できる生活諸手段の総量に、反比例する。資本主義社会のこの法則は、未開の人々のあいだでは、または文明化した植民地住民のあいだでさえ、不合理なものに聞こえるであろう。この法則は、個体としては弱く、絶えず駆り立てられる動物種がたくさん子供を生むことを思い起こさせる。(八七)」

マルクスの眼は弱者に優しくない。怜悧な眼をしている。東南アジア、アフリカが想起されます。)

 

 

「(マルクス注釈八七)「貧困は出産にとって好都合で[さえ]あるように思われる」(A・スミス『諸国民の富』)垢抜けして才気あふれるガリアーニ師によれば、このことは神のとくに賢明な節理でさえある ー「神は、もっとも有用な職業に従事する人間が十二分に生まれるように定められた」(ガリアーニ『貨幣について』)「飢餓と疫病という極限にまでいたる窮乏は、人口を抑制するどころか増加させる傾向がある」(S・ラング『国民的困窮』)ラングは、これを統計的に例証したあとで、さらに続ける ー「万人の境遇が安楽になれば、やがて世界の人口は減少するであろう」と。

(19世紀の学者たちは、貧乏人が子供をたくさん産むことは気づいていた。)

 

 

なので資本主義社会で人口を増やすには、「貧乏な」移民を連れてくるか、弱者男性に女をあてがい、より貧困に追い込んで、そこから本能の爆発によって「自己自身を自己自身で再生産し永久化」する機関を作れ!とマルクスは主張していません。

 

マルクス資本論は資本主義を分析したものなので、資本主義の最底辺で起こる人口法則をしっかりと捉えています。基本的に資本主義は、持続可能ではないですし、多くの人を不幸にしますし、欲望を肯定しているだけだと思います。

 

マルクスは以下のようにも言っています。

実際に歴史上の特殊な生産様式はいずれも、その特殊な、歴史的に妥当する人口法則をもっているのである。抽象的な人口法則というものは、人間が歴史的に介入しない限りで、動植物にとってのみ存在する。

(生産様式があって人口法則がある。金があればいいとか、住むとこがあればいいとか、強いものが増えればいいとか、単純な話ではない。動物とは違う。)

 

マルクスの思想に従うのならば、少子化対策するよりも資本主義を対策しろ!

むしろ人が減ることによって開く可能性があるのではないかと思います。