いつも資本主義の本ばかり読むのではなく、気分で本を読んでみました。
ちなみに、ドラゴンクエスト5のヘルバトラーは、
「闘士(battler)」と「執事(butler)」の合成語?らしいです。
さらにちなみに、battlerという英語は、「頑張り屋」ぐらいの意味らしいです。
海外では、「(バルバトス)barbatos」で安定しているようで、
最上級の悪魔貴族って感じです。執事はどうなったw?
大魔王に仕える地獄執事というのも、なかなか乙なものだと思います。
それでは、以下参照です。
「使用人の中でも特に、主人とともに外出したり訪れる客と接したりする機会の多い男性の使用人の数は、雇い主の富を表すものであった。そもそも、女性の使用人はそう多くはいなかった。中世のアッパークラスの家では、女性の使用人は、女主人に仕える女性(侍女のようなもので、階級は女主人と同等に近かった)、乳母、それに洗濯女くらいで、掃除や皿洗いなどの家事も男性の使用人が行っていた。女性の使用人が増えるのは17世紀になって、法律家、聖職者、役人といった階級の人びとや、裕福な商人が使用人を雇い始めてからだった。女性の方が賃金が安く、扱いやすいというのが大きな理由であり、18世紀においてはこれらの女性の使用人の数はさらに増えていった。特に小規模の家では、女性の使用人が多かった。したがって、男性の使用人を多く抱えているのは、その家のステータス・シンボルだったのである。」
(作者は成金の典型例として、「西インド諸島入植者」を選んでいます。新興成金とステータスとして雇った使用人達の間にさまざまな人間ドラマ、というかなめたり、なめられたりが発生します。
我々は使用人とかを考えると忠孝とか、身分差のある人間ドラマを考えます。ようは前時代的な封建的なものを想像します。
しかし、18世紀19世紀の執事の世界は、雇用者と労働者のような空気が入り込み(資本主義なので当然ですが)、そのような世界で我々が思い描く執事であったり、メイドであったりの典型が形作られたようです。
私は使用人というと女性が多いイメージでしたが、基本は男を見せびらかすもので、予算がない人が女性を雇うというのも、資本主義的なものを感じます。現在のトロフィーワイフなどに通じるものがあります。)
「1900年にノーフォーク公爵のの第3下男だったアルバート・トマスは、通風を患っている、体重252ポンド[約131キロ]の執事の足を洗わなければならなかったときのことを語っている。彼は使用人の控室に戻ると、「あの口やかましい大酒呑みがムカデじゃなくて助かったよ。足が全部通風にかかってただろうからさ」とこぼした。みな笑ったが、その笑いはすぐに消えた。というのもハウスキーパーに聞かれてしまったからだ。」
(私はムカデの医者迎えの話が好きだ。西洋と東洋でも同じ人間ということが理解できる。
)
「女性が、自分では父をやらず乳の出る使用人の女性に任せる風習は、イギリスだけのものではない。ヨーロッパでは古代ギリシアやローマの時代から、裕福な家では、赤ん坊に乳をやるのは奴隷の役目だった。アリストテレスやキケロなどの思想家は、この習慣を強く非難したが、金持ちの特権という誇示的消費の意味からも、母親は自分の赤ん坊に乳をやろうとしなかった。ヨーロッパの貴族の女性で、わが子を母乳で育てたことで有名なのは、マリー・アントワネットである。当時フランスでは特に、ジャン・ジャック・ルソーの思想の影響で、母親が子供を母乳で育てるという概念が、アッパークラスにも広まりつつあった。」
(わが子を母乳で育てるのが、革新的だった。歴史は、よくわかんない。)
メイドや執事って言うのは、典型的なパターンが我々の間で共有されているように思います。
「家政婦は見た」、「おいたわしや。じいは悲しいですぞ。」、「料理人が芸術家」、「メイドと主人の不適切な関係」etc
このような物は、お約束として我々を楽しませてくれます。
しかし、本場のイギリスでは、実際のメイドが主人と結婚するなどは、夢物語だったようです。
そんな感じで、我々の夢や希望が、注入されて、現在のスタンダードが作られたようです。(サムライとかガンマンとかナコルルとか忍者とかサイバーパンクもそんな感じですよね。ああ、資本主義って感じです。)