読書感想文37「執事とメイドの裏表」(ヘルバトラー)

いつも資本主義の本ばかり読むのではなく、気分で本を読んでみました。

ちなみに、ドラゴンクエスト5のヘルバトラーは、

「闘士(battler)」と「執事(butler)」の合成語?らしいです。

さらにちなみに、battlerという英語は、「頑張り屋」ぐらいの意味らしいです。

海外では、「(バルバトス)barbatos」で安定しているようで、

最上級の悪魔貴族って感じです。執事はどうなったw?

 

大魔王に仕える地獄執事というのも、なかなか乙なものだと思います。

 

 

それでは、以下参照です。

「使用人の中でも特に、主人とともに外出したり訪れる客と接したりする機会の多い男性の使用人の数は、雇い主の富を表すものであった。そもそも、女性の使用人はそう多くはいなかった。中世のアッパークラスの家では、女性の使用人は、女主人に仕える女性(侍女のようなもので、階級は女主人と同等に近かった)、乳母、それに洗濯女くらいで、掃除や皿洗いなどの家事も男性の使用人が行っていた。女性の使用人が増えるのは17世紀になって、法律家、聖職者、役人といった階級の人びとや、裕福な商人が使用人を雇い始めてからだった。女性の方が賃金が安く、扱いやすいというのが大きな理由であり、18世紀においてはこれらの女性の使用人の数はさらに増えていった。特に小規模の家では、女性の使用人が多かった。したがって、男性の使用人を多く抱えているのは、その家のステータス・シンボルだったのである。」

(作者は成金の典型例として、「西インド諸島入植者」を選んでいます。新興成金とステータスとして雇った使用人達の間にさまざまな人間ドラマ、というかなめたり、なめられたりが発生します。

 我々は使用人とかを考えると忠孝とか、身分差のある人間ドラマを考えます。ようは前時代的な封建的なものを想像します。

 しかし、18世紀19世紀の執事の世界は、雇用者と労働者のような空気が入り込み(資本主義なので当然ですが)、そのような世界で我々が思い描く執事であったり、メイドであったりの典型が形作られたようです。

 私は使用人というと女性が多いイメージでしたが、基本は男を見せびらかすもので、予算がない人が女性を雇うというのも、資本主義的なものを感じます。現在のトロフィーワイフなどに通じるものがあります。)

 

 

「1900年にノーフォーク公爵のの第3下男だったアルバート・トマスは、通風を患っている、体重252ポンド[約131キロ]の執事の足を洗わなければならなかったときのことを語っている。彼は使用人の控室に戻ると、「あの口やかましい大酒呑みがムカデじゃなくて助かったよ。足が全部通風にかかってただろうからさ」とこぼした。みな笑ったが、その笑いはすぐに消えた。というのもハウスキーパーに聞かれてしまったからだ。」

(私はムカデの医者迎えの話が好きだ。西洋と東洋でも同じ人間ということが理解できる。

hukumusume.com

 

 

「女性が、自分では父をやらず乳の出る使用人の女性に任せる風習は、イギリスだけのものではない。ヨーロッパでは古代ギリシアやローマの時代から、裕福な家では、赤ん坊に乳をやるのは奴隷の役目だった。アリストテレスやキケロなどの思想家は、この習慣を強く非難したが、金持ちの特権という誇示的消費の意味からも、母親は自分の赤ん坊に乳をやろうとしなかった。ヨーロッパの貴族の女性で、わが子を母乳で育てたことで有名なのは、マリー・アントワネットである。当時フランスでは特に、ジャン・ジャック・ルソーの思想の影響で、母親が子供を母乳で育てるという概念が、アッパークラスにも広まりつつあった。」

(わが子を母乳で育てるのが、革新的だった。歴史は、よくわかんない。)

 

 

メイドや執事って言うのは、典型的なパターンが我々の間で共有されているように思います。

「家政婦は見た」、「おいたわしや。じいは悲しいですぞ。」、「料理人が芸術家」、「メイドと主人の不適切な関係」etc

このような物は、お約束として我々を楽しませてくれます。

しかし、本場のイギリスでは、実際のメイドが主人と結婚するなどは、夢物語だったようです。

そんな感じで、我々の夢や希望が、注入されて、現在のスタンダードが作られたようです。(サムライとかガンマンとかナコルルとか忍者とかサイバーパンクもそんな感じですよね。ああ、資本主義って感じです。)

 

読書感想文36「フランス革命についての省察」(その2、思慮深い)

バークさんは、「自然」という言葉をよく使います。

「私は自然にそう思う。それに正義を感じる。」みたいな感じです。

 

 

そんなバークさんの聖書外典からの参照の参照です。

「『伝道の書』(聖書外典)第38篇24~25節「学者の知恵は、ひまによって生じる。そして仕事の少ないものが、かしこくなるであろう」ー「鋤(すき)をもつもの、家畜を追うことをほこるもの、牡牛をつかうもの、労働に専念するもの、去勢牛についてかたるものが、どうしてかしこくなれようか」

 27節「日夜はたらく、あらゆる大工と職人のかしらも、そうである」等々。

 33節「かれらは、公共の相談において意見をもとめられるべきではなく、集会においてたかい席につくべきではない。かれらは、裁判官の席につくべきではなく、判決文を理解するものでもない。かれらの姿は、格言がかたられるところには、みられない」

 34節「しかし、かれらは、この世の国家を、維持するであろう」

 私は、この本が、フランス教会が(最近まで)見なしていたように聖典であるのか、あるいは、この国でみなされているように外典であるのかを、決定するのではない。私は、それが、多くの思慮と心理をふくんでいることを確信している。」

(柳田国男は、幼いころ3回引越しをして、そのたびに近所の人の書庫を望むままに、全部読んだらしいです。ひるがえって、現在の社会では、多読とか速読などが推奨される空気があります。望むままに伸びた知性と、忙しく詰め込まれた知性、はたしてどちらの知性が上なんでしょうか。

 少なくとも現在の忙しいことが、人間の価値基準になる社会では、まともな知性に気づくこともできないでしょう。)

読書感想文36「フランス革命についての省察」(その1、保守とは何か?)

有名な保守思想家バーグの著書です。

頭自民党の方が、バーグが以下の発言をしている、と言っていました。

「アメリカの民主主義は通貨不安である。」

興味がわいたのでバーグの著書を読んでみました。

 

 

以下参照です。

「かれらは、政府は衣服の流行のように、変化してもほどんどわるい結果を生まないと考える。かれらは、国家のいかなる基本構造にも、現在の便宜感(都合がいいからそうなっている感)以外には、いかなる愛着の原理も必要ではないと考える。かれらはつねに、つぎのような意見を持っているかのようにかたる。すなわち、かれらと為政者たちとのあいだには、独特な種類の契約があり、それは、為政者を拘束するが、双務的なものを何もふくまないで、人民の至上性(マジェスティ)は、その意思以外のいかなる理由もなしに、それを解消する権利を持つというのである。かれらがその国たいして持つ愛着自体が、その国がかれらのうつろいやすいもくろみのあるものに同意する限りでのことなのだ。かれらの瞬間的な意見と一致する政策のしくみとともに、国への愛着もはじまり、かつおわる。」

(マジェスティとはすばらしい言葉ですね。フランス革命のころから、現在のネトウヨのような人間は、世の中にはびこっていたw現在の社会は、知識人までもちょっとおかしくなっているので、マジェスティは高まってますね。

 パチスロの新台のように、新しい政党が生まれています。そして、天皇陛下には、マジェスティくな便宜感で崇めています。早く大政奉還することが、望まれます。)

3すくみ

何の本か忘れてしまいましたが、金利について研究している本を読んだときに、

王様は借金に強いと書かれていました。

権力によって、商人からの借金を踏み倒すからです。

 

 

以下のような3すくみがあるかもしれません。

①王様、貴族

②庶民、平民

③商人、金貸し

 

 

②平民 > ①王様

お金を贅沢三昧すると、庶民が怒りだすから。

 

③商人 > ②平民

お金を吸い上げるから。

 

①王様 > ③商人

借金を踏み倒すから。

 

 

ようするに、王様は、戦や干ばつによる税収減などで、借金をする必要がでてくるのですが、いざとなったら、商人に泣いてもらうことができるわけです。

(なので、王様相手の借金は金利が高かった。)

 

日本でも、徳政令や薩摩藩の財政改革など、商人に泣いてもらった例は多いです。

権力側から考えれば、仲間である武士が困窮していて、商人が大儲けしているわけで、そりゃあ、商人に泣いてもらおうとなると思います。

 

 

さて、現在の社会では、王様や貴族はいない社会ということになっています。

そうすると商人が最強のように思います。

庶民からお金を吸い上げ続け、借金を踏み倒してくる王様もいませんw

 

一応、王様の代わりに、エリートとか政治家みたいな人がいます。

しかし、この人たちは「庶民をだましたり、怒らしながら、陰で商人とつるんでいる」このような感じではないのでしょうかw?

 

 

現在の日本では、借金が積み上がり、それを踏み倒してくれる王様もいないようです。

人間嫌い

以下参照です。(プラトン:パイドンより)

「言論嫌いにならないようにしよう、ということだ。ちょうど、ある人々が人間嫌いになるように。というのは、言論を嫌うよりもより大きな災いを人が蒙ることはありえないからである。言論嫌いと人間嫌いとは同じような仕方で生じてくる。つまり、人間嫌いが人の心に忍び込むのは、[人間についての]心得もなしにある人を盲信し、その人がまったく真実で健全で信頼に値すると考えた後に、しばらくたってからその当の人が性悪で信頼に値しないことを発見することから始まる。他の人についても、再び同じ経験をする。こういうことを人が何度も蒙ると、とりわけ、それまでもっとも近しくもっとも親しいと考えていた人々よってこのような仕打ちを受けると、遂には度重なる怒りの果てにすべての人を憎むようになり、どんな人にもいかなる健全さもまったくない、と考えるようになるのだ。それとも、君はまだこういうことが起こることに気づいたことはないのかね」

「だから、こういうことは恥ずべきことではないのか。そして、このような人が人間的な事柄についての心得もなしに人々と付き合おうとしたことは明らかではないのか。というのは、もしも心得をもって人々と付き合ったのなら、あるがままにかれらを考えたであろうから。つまり、非常な善人も非常な悪人もともにごく少数で、大部分の者はその中間にある、と」

「それは、ちょうど極端に小さなものや大きなものについて同じなのだ。人間にせよ、犬にせよ、その他の何にせよ、極端に大きなものや極端に小さなものを見つけだすことより稀なことがなにかある、と君は思うかね。あるいは、また、早い者や遅い者、酷い者や美しい者、白い者や黒い者についてはどうか。すべてこういう者のうちで両極の先端にあるものは稀少であり、これに対して中間にあるものは豊富で多数であるということに、君はきづいていないのかね」

(我々は、ネットやテレビで、極端な者を見ることに慣れていると思います。「人間的な事柄についての心得」を常に確かめないと、人間嫌いになってしまうかもしれません。)

読書感想文35「大転換」(古典の名著らしい)

こちらの本は、第2次大戦中に書かれたらしいです。

「市場社会」が形成されて、崩壊したらしいです。

本の内容はよくわかりませんでした。

頭自民党の人が書いたと思われる本だからしょうがないと思います。

 

東大や有名な大学の教授が訳している本で、これほどまでに誤字・脱字が多い本は初めて読みました。訳している途中で嫌になったのでしょうか?

 

 

以下参照です。

「金融ーこれは影響力を与えるチャンネルのひとつであったーは、多数の独立国家の政策決定にたいする強力な調整者の役割を果たした。貸付とその更新は信用にかかっており、その信用は行動のあり方にかかっていた。立憲政府(立憲制でなければ強い難色が示された)のもとでは、行動は予算に反映されたし、通貨の対外価値は予算にたいする評価と切り離しえなかったから、債務国政府は、自国通貨の為替相場を注意深く見守り、そして予算状態の健全性に疑いを生じさせるような政策を避けるのが得策というものであった。」

(今の時代もそうだが、お金の話は表にはでてこない。トランプの娘婿のような慎みのないケースは、タガが外れてきた証拠だろう。当たり前だが、金融の力、金融資本の力は国家を動かす。)

 

 

「われわれは、資本主義の拡張の過程を平和的ではありえないものと考え、金融資本を数限りない植民地での罪過や拡張主義者の侵攻の主要な教唆者であると考えることにあまりにも慣れすぎしまっている。レーニンは、金融資本と重工業との顕密な関係からつぎのように主張した。すなわち、金融資本は帝国主義の原因であり、ことに、鉄道、公共事業、港湾、その他の恒久的な造営物に投資ーこれによって重工業は儲けたのだーするために勢力圏・租借地・治外法権など、西ヨーロッパの列強が後進地域を締めつけるのに用いる無数の手段を獲得せんとしておこる紛争の原因である、と。たしかに、経済活動と金融とが多くの植民地戦争の原因ではあったが、それらはまた、全面的な戦火の回避という事実の原因でもあった。

(中略)

すべての戦争はほぼ、金融資本によって仕組まれたといえようが、しかし平和もまたかれらによって組織されたのであった。」

(ちょっと頭がいかれてますね。現代語訳すれば、「イランの戦争はトランプによって仕組まれたと言えようが、しかし平和もまたトランプによって組織されたのであった」こんな感じでしょうかwww我々は、帝国主義というものがあった、そんな時代があったことは習います。しかしその原因は教えてもらえません。今ここで、その原因を教えます。金融資本が帝国主義の原因だったのです。)

 

 

現在社会のネット上では、信じられないような言論が繰り広げられています。

結局のところ、「金のために魂を販売した人」が、そのような言論を担っているのだと思います。

資本主義が始まってから、かなりの年数がたっていると思いますが、

「金のために魂を販売した人」は、「古典の世界」にも残っているようです。

頭自民党的な、あまりに頭自民党的な

皇位継承問題について、長年興味をもっています。

 

この問題は、結局、側室なき男系継承は、皇統が断絶するということを理解できない一部のコアな自民党支持層(男系カルト)がごね続けているというのが本質です。

 

側室がいなければ、当然、男系継承は続けることはできません。

そして、側室をやめるならば、男系継承もやめて、双系継承にする。

たったこれだけのことを理解できない男系カルトのせいで、

20年以上の問題となって、愛子様、雅子様、天皇陛下、皇族の方々を苦しめ続けています。

 

この問題を見ていく中で、一つ気づいたことがあります。

男系カルト 対 双系派

という戦いを考えるのが普通なのですが、

「秋篠宮様を攻撃しながら、愛子様が天皇になってほしい」

という謎の愛子様派(秋篠宮攻撃型双系派)が登場するようになりました。

 

その結果、以下のように議論がかみ合わなくなりました。

男系カルト→秋篠宮攻撃型双系派

男系カルト←双系派

そして、男系カルトはとりあえず、秋篠宮を守れみたいな正論を言えるようになりました。

また、まともな双系派まで、秋篠宮を攻撃しているようなイメージを作ろうとしています。

①男系カルト

②双系派

③謎の秋篠宮攻撃型双系派

なぜ③としか議論をしないのでしょうw?

 

 

ある問題があった時に、賛成派、反対派に分かれて議論をする。

議論が膠着し、反対派の中に謎の風変わりな主張をする人間があらわれる。

いつの間にか、反対派の意見が風変わりなものに代わっているw

 

例えば、資本主義の問題を考えます。

格差の拡大や、資本の効率化によって、仕事から遊離してしまう人、

文化が変質してしまったり、人間が住みにくい世の中になっていると思います。

しかし、「お前は共産主義者か?革命するつもりか?」

こんな感じで議論になりません。

①資本主義に賛成

②資本主義に反対、問題がある

③共産主義で資本主義を革命する

なぜ、③の人と議論をしたがるのでしょうw?

 

例えば日本の政治を考えます。

①自民党

②自民党は腐ってる

③憲法を守れ!戦争やめろ!

なぜ、③の人と議論をしたがるのでしょうw?

 

頭自民党的な、あまりに頭自民党的な