資本論を読む理由 資本論9

落ちぶれてすまん。

資本論を読みだしてから、1年以上たったと思います。

資本論1と2については感想を書ける状態ではなかったので、3から

 始まっております。)

takahire-hatene.hatenablog.com

資本論を読む一方で、他方では資本論の理解の助けとなるような本も読んでおりました。ですので、

1巻:剰余価値

2巻:資本の回転

3巻:恐慌理論

このように主となる理論は理解しており、「これでいいじゃん」みたいな感じもあります。ただ、資本論を読み進める中で、マルクスの表現がおもしろかったり、マルクスの思想みたいなものに触れて感心したりと、少し楽しめるようにもなってきました。

また、マルクスの言葉はかなりゆがめられているイメージもありますので、直に感じてみたい衝動もあります。なんにせよ、チマチマと読んでいこうと思います。

 

以下参照です。

「近代経済の真の科学は、理論的考察が流通過程から生産過程に移行するところではじめて始まる。」

(自分の研究に対する自負心のようなものを感じる。商人の考察ではなく、資本家を考察しなければいけない。)

 

「「”さて諸君”」 ーと彼は大きな拍手喝采を受けながら言ったー 「自然そのものが、黒人を隷属状態に運命づけてきたのである。(……)黒人には体力があり、労働する力がある。しかし、黒人にこの体力を与えた自然は、統御する知能をも労働する意思をも、彼に与えることをこばんだのである。(拍手)どちらも彼にたいしてはこばまれている!しかも、彼に労働する意思を与えなかった同じ自然は、彼にたいして、労働する意思を強制する主人を、彼がそれにふさわしく創造された風土のなかで、彼自身のためにも彼を統御する主人のためにも彼を有用な(……)しもべにする主人を、与えたのである。(……)私はこう主張する。黒人を自然がおいた状態のままにしておくこと、黒人に彼を統御(……)する主人を与えること、これは決して不正ではないし、またその返礼として、黒人にまたふたたび働くことを強制し、また彼(黒人)を統御して彼自身にとっても社会にとっても彼を有用なものにするために彼の主人が使用する労働と才能とにたいして、この主人に正当な代償を与えるよう黒人に強制しても、なんら黒人の権利を奪うことにはならない」

奴隷制を擁護する弁護士の集会での演説。このような考え方の人っているよね。)

 

「(マルクス注釈七九)「因習的な障壁の一般的緩和と教育の便宜の増大とは(……)、不熟練労働者の賃金を高騰させるのではなく、熟練労働者の賃金を下落させる傾向を示す」」

(上司「マニュアル作って!」私「はい!(なんで俺ができるのにマニュアルがいるのかなあw?)」)

 

「あらゆる偶然的な攪乱を度外視すれば、再生産過程の進行中に、現存する資本の一大部分が恒常的に多かれ少なかれ価値減少をする。なぜなら、諸商品の価値は、諸商品の生産に最初に費やされた労働時間によってではなく、それらの再生産に費やされる労働時間によって規定されるのであり、そしてこの後者は、労働の社会的生産力の発展の結果、絶えず減少するからである。だから、社会的生産性のより高い発展段階においては、すべての現存する資本は、資本を貯め込む長期の過程の結果としてではなく、相対的にごく短い再生産時間の結果として現れる。

(毎年4%の利益を、複利で回せば、20年で倍になる。このような夢想を打ち砕く。資本の価値はごく短い再生産時間の結果として現れる。)

 

「(カルテルの生成→最終的に独占となったソーダ製造会社の事例の紹介から)これこそは、資本主義的生産様式そのものの内部での資本主義的生産様式の止揚(ぶつかり合いそして、次のレベルに達すること)であり、したがってまた自己自身を止揚する矛盾であり、この矛盾は、”明らかに”新たな生産形態への単なる過渡点として現れる。こうした矛盾として、それは現象にも現われる。それは、一定の諸部面で独占を生み出し、したがってまた国家の干渉を誘発する。それは、新たな金融貴族を、すなわち、企画屋たち、発起人たち、単なる名目だけの重役たちの姿をとった新種の寄生虫一族を再生産する。すなわち、会社の創立、株式発行、株式取引にかんするぺてんと詐欺の全体制を再生産する。これは、私的所有の統制を欠いた私的生産である。」

(多分、現在のスマホやPCのOSでも、独占からの国家の干渉を生み出している。いろいろあって最終的に、寄生虫一族が再生産されるのでしょう。勘弁して欲しい。)

 

「信用制度に内在する二面的性格 ー一方では、資本主義的生産の動力ばね、すなわち、他人の労働の搾取による致富を、もっとも純粋かつ巨大な賭博とぺてんの制度にまで発展させ、そして社会的富を搾取する少数者の数をますます制限するという性格、しかし他方では、新たな生産様式への過渡形態をなすという性格ー この二面性こそは、ローからイザアク・ぺレールにいたる信用の主要な宣伝者たちに、ぺてん師でありまた予言者であるという、彼らのゆかいな混合性格を与えるものである。

(なんだろうイーロン・マスク孫正義などの名前が浮かんでくるwマルクスの悪口は時代を超える。)

 

マルクスルサンチマンなのか?

まだまだ、資本論をよまないといけません。