読書途中経過「カール・マルクス 新版 資本論3 3/13」

本を読んでいて眠くなるということは、たまにはあると思いますが、この本の睡眠力は段違いだと思います。

 

いろいろな原因が考えられますが、まず、基本的に「論文」であり、分かりやすい表現を使おう!みたいな気持ちがありません。

「資本主義的生産の内在的諸法則が、諸資本の外的運動のうちに現われ、競争の強制法則として貫徹し、したがって推進的動機として個々の資本家の意識にのぼるか、その仕方は、ここでは考察されないが、・・・・」

しかし、マルクスにしてみればこの本自体は、副題が「経済学批判」とあるように、既存の論文や考え方に対するアンチテーゼなので、当然相手に合わせてアカデミックな書き方をすると思います。また単に、私の「読書力」が低いだけのような気もします。(西部進とか吉本隆明とか読めない。)

 

次に、注釈が異常に多いというのが上げれます。(なんと注釈の文章に注釈がついている!)これはだんだん慣れてきて、注釈はマルクスが書いていて、注釈の注釈は訳者などが書いていることを理解したら何とかなりました。

なんで注釈の量が多いかというと、マルクスという人は、「最新の」経済学だけでなくヨーロッパの歴史や文化などにも詳しいため、聖書や文学作品から多種多様に引用してきます。ゆえに東洋のマルクスに興味を持ったおじさんでは、西洋の風情を理解するのに時間とエネルギーが必要になります。

 

まあ、しかしマルクス資本論の第一部を書くのに20年ぐらいかけているようなので、私もちまちま行こうかと思います。

 

 

以下は引用です。

「ジョン・スチュアト・ミルは、彼の著作『経済学原理』で、次のように言うー「これまで行われたすべての機械に関する諸発明が、だれかある人間の日々の労苦を軽くしたかどうかは、疑わしい。」」

(システム化されて自動化されると、自分、削られるんですけどw)

 

「機械の資本主義的使用は、

①一方では、労働日の無際限な延長の新しい強力な動機を作り出し、この傾向にたいする抵抗をうちくだくような仕方で労働様式そのものと社会的労働体の性格とを変革するとすれば、

②他方では、一部は、労働者階級のうち以前は資本には手の届かなかった階層を編入することによって、一部は、機械に駆逐された労働者を遊離することによって、

 資本の法則の命令に従わざるえない過剰な労働人口を生み出す。」

クラウド化とかDXとか言っているけど、過剰な労働人口にされてはたまりません。システムは難しいままでいてほしい。素人が嫌うコンソールが好きだ。)

 

「したがって、資本は、A・スミスが言うように、労働にたいする指揮権であるだけではない。それは、本質的に不払い労働にたいする指揮権である。すべての剰余価値は、それがのちに利潤、利子、地代などのどのような特殊な姿態に結晶化しようとも、その実体からすれば、不払い労働時間の体化物である。資本の自己増殖についての秘密は、一定分量の他人の不払い労働にたいする資本の処分権に解消される。」

(なんていかがわしい文章なんだ。マルクスの書く文章はいかがわしい。)

 

「そこから、労働力の価値および価格を労賃の形態に ーまたは労働そのものの価値および価格にー 転嫁することの決定的重要性が理解される。現実の関係見えなくさせ、まさにその正反対のことを示すこの現象形態は、労働者および資本家のもつあらゆる法律観念、資本主義的生産様式のあらゆる神秘化、この生産様式のあらゆる自由の幻想、俗流経済学のあらゆる弁護論的たわごとの、基礎をなしている。

 世界史が労賃の秘密を見破るには多大の長い時間を要するとしても、逆にこの現象形態の必然性”存在理由”を理解することほどたやすいことはない。

(労働力の価値、労働の価値、支払労働、不払労働、資本論を読まないと理解しにくいと思いますが、マルクス先生の気合を感じる!)