資本主義が人間の社会性を弱めるということは、マルクスを勉強した結果、理解ができました。では個人の幸福ではなく、社会の幸福とはなんでしょうか?
我々はそれを失ってしまったのでしょうか?あるいは?
以下参照です。
「ところで前章(第1章)で、日本を含む先進国の現在の特徴として、「個人化」があげられることにふれましたね。ここで述べた日本での協調的幸福を重んじる文化というのは、そうした個人化とは相容れないようにもみえます。この矛盾してみえる現象は、どのように理解すべきなのでしょうか。
それを理解する手がかりとして、韓国の社会学者のチャンが提示する「個人主義なき個人化」という考え方が助けになるように思います(Ghang 2014)チャンは、東アジア(韓国・中国・日本)では、人々は家族を重要視する家族主義的な価値観をもち続けているにもかかわらず、少子化や未婚化、一人暮らし高齢者の増加といった、家族の「衰退」がみられるのはなぜなのかという問いを投げかけます。それには、西ヨーロッパでは比較的長い時間をかけて進んだ、「脱近代」(大きな物語が解体され、個人が小さな物語をもつ時代)と呼ばれる政治、社会、文化の変化が、東アジアでは急激な勢いで進んだことが影響していると主張します。これをチャンは「圧縮した近代」と呼んでいます。
急激な変化によって確かなものが無くなる中で、家族はいざというときに唯一頼れる存在になります。これをチャンは「リスク回避的な個人化」と呼んでいます。しかしいざという時に頼れる家族とは、逆に言えば家族のメンバーの生活に何か問題が生じたときには、あなた自身がその対応に責任を追う側にもなるかおしれない、ということでもあります。つまり、家族はリスクのもとにもなったと言えるのです。リスク回避的な個人化はそのために、子供をつくらない、結婚しないといった、家族を縮小させる方向に個人と社会を進ませたのだというのが、チャンの「個人主義なき個人化」の話なのです。」
(まさに、現在の資本主義が何を行っているかが浮き彫りになります。人間から社会性を失わせ、それによって人間が「個人化」してくる。緑のバッタが、茶色いローカストになるように。そして、1800年代の資本主義よりも、より強力により効率的になった資本主義が、東アジアの家族主義を解体しているのだと思います。)
「さらに、女性キャラに扮した男性は、女性キャラを操る女性や男性キャラを操作する男性に比べ特徴的な動作がありました。それは「ジャンプ」を多くしていた、ということです。ジャンプはゲーム内で敵と戦うようなシリアスな場面ではなく、単なる遊びとして行われた可能性があると同研究では指摘しています。」
(「おーい!!!」とか言いながら、ぴょんぴょんはねてたら、そいつはネカマです!桜井正成さんは、オンラインコミュニティも調査しているようです。そして、世間で言うほどマイナスではなく、むしろ現実に良い影響を与えるケースも多いそうです。)
「(前略)社会学者の有薗真代は、その著書『ハンセン病療養所を生きる』の中で、入居者たちが管理者の目から逃れて仕事を「創造」していたことを明らかにしています(有薗 2017)。それは「酒屋」の営業(入居者から注文を受け付け外部の酒屋へ買い付ける)や、年賀状作り、ビニールハウス作り、果ては賭博の胴元もしていたことまで紹介しています。明らかに施設の規則からは違反しているのですが、なぜそこまでして入居者たちは、仕事を「創造」したのでしょうか。同書では入居者は次のように語っていました。
「俺たちは政治も文学もできねから。療養所の中の一部、エリートだけよ。俺らみたいな大衆は違うの。(中略)博打つったって賭ける金もないから、子どもの遊びみたいなもんよ。(中略)何でもいいから何かやってないとね、さびしくてつぶれそうだったんだ。」(有薗 2017:103)」
(善とか悪を超えた人間らしさを感じる。魂に伝わるような人間の声。)
人間と人間が作り出す「社会」。
現在も形を変えて、我々のそばにいるのだと思います。
そして、我々はそれを創造していかないといけないのだと思います。
そのためには「仕事」が必要なのだと思います。