読書感想文25「身の丈の経済論 ガンディー思想とその系譜」(偉大なる魂)

有名な絵だと思うのですが、「チャルカー(糸車)で糸を紡ぐガンジー」に惹かれて、読んでみました。加えて、以下のような共産主義に対する嗅覚も働いています。

マハトマ・ガンディー(非暴力・不服従

ジャワハウラール・ネルー共産主義者でインドの首相、「日露戦争のすぐ後の結果は、一握りの侵略的帝国主義グループにもう一国を加えたというに過ぎなかった」とか厳しい。)

チャンドラ・ボース(名前だけ知っている。wikiを読んだら、the風雲児って感じ!)

 

以下参照です。

ヴェーバーは、現世内の家族、財産、政治、経済、芸術、恋愛などあらゆる人間関係から生じる社会的・心的束縛から完全に離脱して宗教的救済を得ようとする行為を「現世逃避的禁欲」と呼び、他方、現世秩序内部に留まって世俗的職業労働に専念することにより、宗教的救済を得ようとする行為を、「現世内的禁欲」と呼んだ。そのうえで、ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教などにおける修行僧の生き方に「現世逃避的禁欲」の類型を、またキリスト教、とりわけプロテスタンティズムにおける職業倫理に「現世内的禁欲」の類型をみいだして、後者のなかから資本主義の発生につながる「合理的生活態度」を抽出した。」

(日本やアジア・インドなどは、人生に嫌になったら、出家、解脱、引退、異世界転生って感じですが、西洋では苦しい時こそ仕事頑張ろうみたいな感じなんでしょうか?苦しい時に、筋トレする現代人は、西洋かぶれなんでしょうか?宗教感はとても感じますがw、「どんな時でも筋トレだ!筋力は全てを解決する!」←解脱してるね。)

 

「中村によれば、ガンディーは手紡ぎとカーディーの生産に三つの積極的側面を認めているという。それはつまり、経済的には職を失った手工業者の救済、道徳的には労働による怠惰の追放、そして政治的にはスワデーシー(国産品の愛用。外国製品の不買運動。)の樹立した段階において市民的不服従によりインド政府を屈服させる前提条件となること、である。」

(人間には労働が必要だと思います。ニートは、労働の疎外感が大きくなりすぎていることも考えないといけない。みんなで楽しく労働。)

 

シューマッハーは、ガンディーを「精神性と矛盾しない経済学の体系は存在していないのに、精神性に立脚した経済学を実践している経済学者」とみていた。」

「ところが当のセンは、倫理を重視する点でガンディー思想と共鳴する部分をもちながら、かならずしも環境と調和した人間の簡素な生き方を想定するものではない。むしろ彼は、グローバルな経済発展によって世界の貧困を解決しようと考える立場から、身の丈の経済を志向するガンディーにたいしては批判的である。」

(現在の経済学とは、どうすれば効率が良くなるか?とか、どうすれば市場が拡大するのか?とかをやっているんだと思います。それは、「資本の増大は善」と考える倫理観が根底にあるのだと思います。今を生きる我々は、どうも宗教や倫理みたいなものからあまり縛られず、「資本の増大は善」に縛られて生きているようです。少なくとも、資本が増大しても、貧困は解決しません。なぜなら、増大した資本主義は増大した貧乏人が基盤に必要だからです。)

 

ガンディーは共産主義者とは、敵対的だったようです。

それはガンディーが「受託者(良識的な貧乏人のために動ける金持ち)」というパトロンを持ち、「体制を擁護している」と批判されたようです。

しかし、金持ちが倫理観を持ち、お金を貧乏人に回すようにすることはとてもいいことだと私は思います。また、非暴力の精神があります。革命やストが好きな共産主義者よりも、一枚上手のように感じます。

 

そして、宗教や倫理や道徳と経済は不可分なものだと私は思います。

「成長すればそれでいい」みたいな価値観は、間違いなく後世に生きる人間から侮辱や「野蛮だったねー。あほだったねー。」という感想を抱かせるでしょう。