読書感想文26「アダム・スミス」(神とは言ってない)

著者:堂目卓生

 

マルクスを理解するためには、アダム・スミスも理解しないといけないので、結局、「国富論」(「諸国民の富」と習った世代です。)を読もうとしております。

いつものように外堀を埋めるために読んでみました。

 

まずとても大切なことは、アダム・スミスの超有名な言葉で、

「見えざる手」というのがあります。

この言葉は「神の見えざる手」と言われる方が一般的に思いますが、

アダム・スミス本人は「見えざる手」としか言っていないようです。

「市場に任せておけばいい。市場は神だ。規制緩和だ!」

というイメージは明確な誤りです。

 

「見えざる手」というといかがわしい感じも匂ってきます。

いかがわしいものに神を感じる人がそのような言葉を作ったのでしょう。

 

 

それでは以下参照です。

「農村の美しさ、田園生活の楽しさ、それらが約束する心の平穏、そして不当な法律によってじゃまされないかぎり与えられる独立心、これらは多かれ少なかれ万人を引きつける魅力をもっている。そして、土地を耕作することこそ人間の本来の運命であったのだから、人類の歴史のあらゆる段階において、人間は、この原初の仕事への愛着をもち続けているように思われる。(『国富論』3編1章)」

アダム・スミスは「道徳感情論」という本も書いています。むしろ、経済学が存在しない時代の人なので、「道徳の先生」というのが正しい気がします。アダム・スミスは誰の心の中にも「公平な観察者」がいることを説きます。だから自分に嘘はつけないんですね。

 そんなアダム・スミスが書く伸びやかな農業への憧れ。)

 

「長期国債によって資金調達を行う方法をとった国は、すべて、しだいに弱体化していった。最初にそれを始めたのはイタリアの諸共和国だったようである。ジェノヴァヴェネツィアは、それらのうちで、今なお独立国と称しうるただ二つの国であるが、ともに、国債のために弱体化してしまった。スペインは、国債による資金調達の方法をイタリアの諸共和国から学んだようであるが、税制が、イタリア諸共和国よりも思慮に欠けたものであったため、本来の国力の割には、イタリア諸共和国よりもさらに弱体化した。[中略]フランスは、その自然資源の豊かさにもかかわらず、同種の重い財政負担のもとにあえいでいる。オランダ共和国は、国債のために、ジェノヴァヴェネツィアと同じくらい衰弱している。他のどの国をも弱体化させた資金調達の方法が、グレート・ブリテンにおいてだけ、まったく無害だということがありうるだろうか。(『国富論』五編三章)」

(日本の国債も無茶苦茶。アメリカもやばいと思う。(アメリカは、国民性が借金大好き!)歴史は繰り返す。)

 

「人間本性の仕組みからいって、苦悩は決して永遠のものではありえない。もし人が苦悩の発作に耐えて生き続けるならば、彼はまもなく、何の努力もなしに通常の平静さを享受するようになる。木の義足をつけた人は、疑いもなく苦しむし、自分が生涯、非常に大きな不便を被り続けなければならないことを予見する。しかしながら、彼はまもなく、その不便を公平な観察者たちがそれを見るのとまったく同じように見るようになる。すなわち、彼は、そのような不便を背負っても、一人でいるときに得られる普通の喜び、そして仲間といるときに得られる普通の喜びを、ともに享受できると考えるようになる。彼は、まもなく自分自身を胸中の理想的な観察者と同一視し、彼自身が自分の境遇についての公平な観察者になる。弱い人がはじめうちはそうすることがあるのと違って、彼は、もはや泣かないし、嘆かないし、悲嘆にくれない。公平な観察者の見方が完全に習慣的なものとなるため、彼は、何の努力もなしに、自分の非運を、公平な観察者以外の見方で見ようとはしなくなるのである。」

(人間に対するゆるぎない信頼。自分の内にある神と、人間は何の努力もなく、一体化することができる。)

 

アダム・スミスは真の幸福は「心の平穏」と考えていたようです。

国富論」は、植民地主義重商主義)に対する反論として書かれているようです。

そして、アダム・スミスアメリカの独立に賛成だったようです。