リベラリズムの問題点

2022/11/22 月一宮台

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以下一部の書き起こし

宮台真司ロールズ(正義論)によると、リベラリズムの本質は、『「お前が俺でもたえられるか?耐えられないのならばこの制度を変えろ。」という立場可換性、お互いがお互いの立場を考えて耐えられる制度が、リベラルな制度だよ。』という非常に納得できるものなのですね。」

宮台真司「そこで重要な道具立てがあって、「基本材」という考え方なんですね。つまり、お前が俺でもたえられるか?といったときに、耐えるべき環境として上げられる要素の集まりが基本材ということなんですね。生きるために必要なもの、感情の安定のために必要なものという具合に、基本材は普遍的なもの、ユニバーサルなものと考えていたんですね。」

宮台真司「この正義論が1971年にでてから、コミュニタリアンと呼ばれる方々(サンデル、キンタイアー)が非常に重要な批判をされまして、「基本材は共同体によって違う。」ということなんですね。命がどれだけ大切か、家族がどれだけ大切か、あるいは神がどれだけ大切か、それは基本文化によって違うだろということなんですね。」

宮台真司「するとコミュニティが違うと立場可換性はないよねとなります。一つの同じ文化圏、大規模な仲間集団の中でしかリベラリズムは成り立たないという議論になったんですね。この批判にロールズは屈して1993年に「そ の と お り である。リベラリズムは普遍主義であることはできない。これから私は普遍主義的なリベラリズムを捨てて、政治的なリベラリズムでいきます。」と宣言したんですね。」

宮台真司「その時に、今回の問題が完璧に予告されているんです。つまり、リベラリズムを普遍主義的に主張すると文化が壊れる。」

宮台真司「さて、このような知的なリソースやレガシーというものは、どんどん忘れられていくんですね。とりわけインターネット化以降はそうなんですね。フィルターバブルはあるでしょ、エコーチェンバーがあるでしょ、お互いの陣営同士の攻撃と防御で精いっぱいでしょ。というところで、ある時期までは意味を持った知的リソースが忘れ去られていった結果、キャンセルカルチャー、ありとあらゆる領域で普遍的なリベラリズムを主張する人間と、それによって自分たちがここにいる理由が消えてしまう人間、アメリカ人であることの理由が失われてしまう人間との主張の間のかなり重要なコンフリクトが生じるようになったんですね。」

 

(この流れを踏まえて宮台先生がイーロンマスクがtwitterを買収した理由を説明してくれます。私には、イーロンマスクがマトリックスや狂四郎2030のようなデストピアを作ろうとしているからだ!と聞こえた。現実が漫画になる時がきた。)