中日新聞5/7社説「高貴なる私たちの責務」

いきなり以下参照です。

「(皇帝マルクス・アウレリウスは疫病と戦争に苦しんだみたいな文脈)「自省録」には次のような言葉が並びます。<あたかも一万年も生きるかのように行動するな。生きているうちに、許されている間に、善き人たれ><明け方起きにくい時には、次の思いを念頭に用意しておくがよい。『人間の務めを果たすために私は起きるのだ』>

 困難に立ち向かい、皇帝としての役目を果たすため、自らを鼓舞しようとしていたのでしょう。哲人皇帝として「ノブレス・オブリージュ(高貴なるものの責務)」を担う覚悟を感じさせます。」

 

「スペインの哲学者オルテガは、1930年に出版した「大衆の反逆」で、「自己を超え出て、自らに義務や要求を課する」人を「貴族」と定義づけました。世襲貴族や特権に守られた「上級国民」のことではなく、生き様を意味します。

 この貴族と対照的な生き方をする者を「大衆」あるいは「満足しきったお坊ちゃん」と呼んでいます。個性を失い、自らの使命を考えず、律することもない群衆を指します。決して見下した表現ではありません。

 オルテガが「大衆」の典型的な例に挙げたのが、意外にも、専門外のことに関心を持とうとしない科学者でした。謙虚さを失い、専門外の政治、芸術、社会習慣について「原始人」のような無知な態度を取る、という理由です。」

 

このような素晴らしい西洋思想の紹介からの、「高貴なるものの責務」として、「選挙に行きましょう」というくだらないオチです。

少なくとも「大衆」は今の政治に満足などしていないですし、自堕落に生きてるようには思いません。投票に行かないのは、与党にも野党にも入れたくないからでしょう。この新聞記者は自分がオルテガが指摘する「大衆」(謙虚さを失い、専門外の政治、芸術、社会習慣について「原始人」のような無知な態度を取る)になっていることに気づいていない。(俺がバカな有権者に責務を教えてやるぜ!ウッキッキー!)