マルクスメモ「年譜」

気になる点をまとめました。マルクスは、2男4女+1をもうけている。

 

1818( 0歳) 誕生

1836(18歳) イェニーと婚約(貴族の娘)

1843(25歳) イェニーと結婚

マルクスは反貴族主義者だが、妻が貴族であることは非常に誇りにし、妻には「マダム・イェニー・マルクス。旧姓バロネッセ(男爵令嬢)・フォン・ヴェストファーレン」という名刺を作らせて、商人や保守派相手にはしばしばそれを見せびらかした

1844(26歳) 長女ジェニー誕生

1845(27歳) 次女ラウラ誕生

1847(29歳) 長男エドガー誕生

          「共産党宣言」発表

1849(31歳) 次男ヘンリー誕生(夭逝)

1850(32歳) エンゲルスの経済援助開始

1851(33歳) 3女フランチェスカ誕生(夭逝)

          婚外子フレディ誕生(イェニーのメイドの子)

1852(34歳) 葬式代もないなど極貧状態

1855(37歳) 長男エドガー死亡

「真に偉大な人々は、自然の世界との多くの関係、興味の対象を数多く持っているので、どんな損失も克服できるという。その伝でいけば、私はそのような偉大な人間ではないようだ。我が子の死は私を芯まで打ち砕いた」

          4女ジェニー誕生

1859(41歳) 「経済学批判」発表

1867(49歳) 「資本論」第一巻刊行

1883(64歳) 死去

1885(ーー歳) エンゲルス資本論」第二巻刊行

1894(ーー歳) エンゲルス資本論」第三巻刊行

 

小泉信三さんの評価

「悪しき飲食者は悪しき労作者であり、悪しき僚友でもある。彼は飲食について何も食わないか、胃袋を満杯にするかの二極だった。同じく執筆について執筆を全く面倒くさがるか、執筆のために倒れるかの二極だった。同じく他者について、人間を避けるか、誰もが利益せぬ全ての人と友になるかの二極だった。彼は常に極端に動く」

 

マルクスについて書かれた事って本当のことなのか、資本家の悪口なのか、偏見なのか、故人の崇拝なのか、イデオロギーなのか、が判別がつかないのですが、子供関係は正しいのだと思います。

飢餓と疫病という極限にまでいたる窮乏は、人口を抑制するどころか増加させる傾向がある

これは資本論の中で、マルクスが参照した言葉ですが、複雑な気持ちをマルクスは抱いていたのでしょう。

「前門の虎、後門の狼」でマウントを取れる時代

古文・漢文にはメリットがないのでしょうか?

m-dojo.hatenadiary.com

 

この方のブログをさらりと見たのですが、「俺はいろいろ知っている。誰誰が何々を言っていた」みたいな情報を張り付けたり、「俺の判断は正しい」みたいなマウントを取ったりしてる風味を感じました。議論するのも好きなようです。得意の情報で相手を倒しています。

 

まず、考えていきたいのは「勉強する」と言ったときに何をするのでしょうか?

風雲児たち」の中を見ますと、例えば、西郷さんが手にけがをして、武士として厳しい感じになった時に、論語などを読んで、「これからはこっちでがんばろう。」みたいな描写があります。このころは勉強と言えば論語だったのでしょう。

そもそも論語事態が、孔子先生がさらに古い時代の書物?を読んで、学び・教えたことの記録なんだと思います。

私は「勉強する」とは、「昔の人がやったことを参考に考える。」のが基本だと思います。(会社とかでも昔のデータ見たりしますよね。)古い時代の書物を読む経験は絶対に必要だと思います。

 

さらに、論語の内容なんですが、知識や情報的なものではなくて、「人間はこうあるべきだ。なぜなら、、、」、「誰誰は良い人だ。なぜなら、、、」みたいな普遍的な事が書かれていて、なおかつ、結構面白いんです。だから2千年以上読まれているのだと思います。そんな昔から読まれている事それ自体が価値を持つと思います。

 

漢文はいらないと言っているブログの方は「勉強」とは、換金性が高く、他人にマウントがとれて、最新の情報をより効率的に得ることだと思っているのではないでしょうか?。

昔の時代は、学問をすることは大変でした。日々の生活があり、時間もありません。学問をするには金と時間が必要でした。高い志がなければやれません。

現在の学問は、金と時間は多少あっても、余裕のないものには、魅力的に映らないのかもしれません。

それか、志が低いのでしょう。

 

 

 

楽天優待情報、2024/2/14のプレスリリース後

2/15(木)、楽天の株が上がりました。

2/15(木)グーグル

 

何故上がったかですが、まずは、2023/12/26のプレスリリースの情報が以下です。

100株ですと、3カ月無料でした。そもそも変更前が楽天ポイント500円なので

微妙な変更でした。

2023/12/26のプレスリリース

 

そして、2024/2/14のプレスリリースが以下になります。

分かりにくいですが、変更後は、100株もっていれば、1年間無料のようです。

2024/2/14プレスリリース

 

そもそも優待の基準日が12/31なので、それを過ぎてから変えるとか、「こんなことやっていいの?」という感じです。わたしは、とりあえず株を保有していて、加えて、2台持ちをしていたので、運がよかったです。

 

自動契約解除など、あやしい要素が満載です。とりあえず、楽天は5年以上の長期保有特典はスペースの無駄だから、潔く辞めればいいと思います。

金の保有量ランキング(2023/10/12)

自分用に作ってみました。

あいかわらず全ては適当です。

国家予算は本当に分かりません。

(多分、地方の予算を抜いているものだと思います。普通の国家予算)

 

適当

通貨の信任を考える参考にしてください。

火事場の力が見えると思います。(戦争の強さ)

中国(シナ)は増やすトレンド。ロシアは戦争してるので不明。財政は黒字の様子?!

究極の金融商品 資本論11

ギャンブルの王様は何か?」

この質問に、日本最強のギャンブラー阿佐田哲也は答えています。

「競輪」

(ひりつく具合がよいらしいです。運と戦略のバランスが程よいようです。)

 

では、マルクスが一番嫌いな金融商品はなんでしょうかw?それこそ究極の金融商品でしょう。以下参照です。

 

「(借地農場経営者は)土地を改良し、その生産物を増加させ、土地を単なる物質から土地資本に転化させる。耕作された農地は、同じ自然的な質の未耕の原野よりも、価値が大きい。土地に合体された、比較的恒久的で、比較的長い期間をかけて利用され尽くす固定諸資本も、その大部分が、特定の諸部面では往々にしてその全部が、借地人によって投下される。しかし、契約で決められた借地期間が過ぎれば、 ーそしてこれが、資本主義的生産の発展につれて、土地所有者が借地期間をできるだけ短縮しようとする理由の一つであるがー 、土地に合体された諸改良は、実体である土地の不可分な偶有的属性として、所有物として、地主のものとなる。(中略)これこそは ー本来の地代の運動はまったく別としてー 、経済的発展が進むにつれて、土地所有者たちの富がますます増大し、彼らの地代が絶えず膨張し、彼らの地所の貨幣価値が増大する、秘密の一つである。こうして彼らは、自分たちがなにも手を貸さずに生み出された社会的発展の成果を、彼ら個人のポケットにしまい込む ー”天のたまものを浪費するために生まれた”者たちである。」

マルクスは「地代」を研究しています。主としては、農地を研究しています。住宅地や商業地ではないです。しかし、土地の持つ魔力に迫っています。)

 

このように、土地に使用される資本が多ければ多いほど、一国における農耕と文明一般との発展が高ければ高いほど、一エーカーあたりの地代も地代総額もますます増加し、社会が超過利潤の姿態で大地主たちに支払う貢物もますます巨大になる ーひとたび耕作圏内に引き入れられた土地種類のすべてが競争能力を保持する限りは。この法則は、大地主階級のおどろくべき生命力の強さを説明する。これほど浪費的な生活をする社会階級は他にはないし、この階級ほど、伝来の「身分相応な」ぜいたくをする権利を ーそのための貨幣がどこからこようとおかまいなしにー 要求する階級はなく、この階級ほど、気楽に債務に債務を積み重ねる階級はない。しかもなおこの階級は、いつもうまく切り抜ける ー土地に投下された他人の資本、資本家がそれから引き出す利潤とはまったく不つり合いな地代をかの階級にもたらす他人の資本のおかげで。」

(土地の持つ魔力、投資すればするほど、それは大きな地代になる法則。(投資しすぎて無駄になることがない。)この魔力によって、土地バブルは発生するのでしょう。また、バブルのつけは、うまくやって資本家が払うのでしょう。)

(この理論を説明するために30ページぐらい表の説明が続くのですが、とても分かりにくくて眠くなります。その後でエンゲルスが、今まで説明は適切な数字ではなかったので、分かりやすい数字に私が修正しました。という感じで簡単に説明してくれます。マルクスの誤った数字を乗せる意味が私には理解できない。初めから正しい数値だけで編集すればいいと思う。版を重ねる意味がないと思う。)

 

「すでに過去のものとなった一定の発展段階でこそ斬新でもあれば独創的でもあり、深淵でもあれば根拠のあるのものでもあったことを、もはやそれが平凡となり、時代遅れのものとなり、まちがったものとなっている時代に繰り返すことこそ、まさに俗流経済学を特徴づけるものである。そうすることによって、俗流経済学は、古典派経済学が取り組んできた諸問題に感づきさえしないことを告白する。俗流経済学は、これらの問題を、市民社会の発展のより低い段階でのみ提起されることのできた諸問題と取り違える。自由貿易にかんする重農主義者たちの諸命題を、飽くことなく自己満足的に反芻しているのも(※資本と資本階級との利益と発展、資本主義的生産の発展が、近代社会における国民的な力と国民的優越の土台になっているなど)、同じ事態である。これらの命題は、たとえあれこれの国家の関心を実際上どれほど引くとしても、理論的関心はとっくにすっかり失われてしまっているのである。」

(まるで男系カルトの批判を聞いているようだ。俗流経済学者も男系カルト学者も理論的なことは言えない。壊れたラジオのように時代遅れのスローガンを繰り返すw理論的関心が失われていることを、意気揚々と議論しないで欲しいwマルクスの苦悩がうかがえるw)

 

「ある形式的類似 ーただし、資本主義的生産様式を把握した人にとっては、また、どの貨幣経済のなかにもすぐに資本主義的生産様式を発見するモムゼン氏のような人ではない人にとっては、これは、またすべての本質的な点で、完全に錯覚であると見えるのであるがー このようなある形式的類似は、古代の大陸イタリアでは決して見られず、おそらくシチリアのようなところでだけ見られる。なぜなら、シチリアはローマにとっての農業貢納国として存在し、したがって、農耕は本質的に輸出を目的としていたからである。ここでは、近代的な意味での借地農場経営者が見いだされる。」

マルクスの面白悪口。「どこにでも資本主義的生産様式を発見する人」資本主義の悪口なら何でもいいわけではない。)

 

後1冊まで来ました。

とりあえず、私は、JREAT大好きおじさんになろうと思います。

ちがうかな。

読書感想文21「細雪」(美しい国へ)

作者は谷崎潤一郎。2次元ドリームマガジンの源流みたいな人です。

この意見はどこかのあほの意見なのですが、ドナルドキーン先生に言わせると、

「戦争の惨禍によって、美しい日本が失われてしまう。そのような思いがあったからこそ、美しい日本をそのまま閉じ込めたようなこの小説が書けたのですね。(少し怪しい参照です。)」

という感じのようです。「美しい国」とはなんでしょう?(安倍ちゃんが思い起こされますw)

 

!!!ここから先はネタバレしかないです!!!

!!!ここから先はネタバレしかないです!!!

!!!ここから先はネタバレしかないです!!!

 

私が本当に美しいと感じたのは、「心遣い、気配り」ですね。

行き遅れの雪子に気を使わせたくない幸子。

皆に気を使わせないようにあっけらかんとしている雪子。

雪子に負い目がある妙子。

負い目を気にかけてないよと雪子。

互いの心と心の間合いの取り合い、時にはさりげなく、時には激しく、激しく言うときも心配りとくるおしさが伴い、揺れながらもつながる信頼感。

 

私は本当にこの本を婚活が嫌になった人に読んでもらいたいと思っています。

ゼロか100かのデジタル思考で、マイナスが許容値を超えればぷつりと途切れる交信。このようなデジタルロボット試験とは全く異なる世界が「細雪」の中には広がっています。

 

細雪をラストまで読むと、妙子(こいさん)がとてもかわいそうな状況になってきます。最初に思ったのは、「なんでここまで可哀そうにするんだろう?救いがないなああ。」という感じです。(だいたいの人がそう思うのではないでしょうか?)

 

いろいろな理由が考えられるのですが、谷崎さんは日本的な雪子が好みで、西洋的な妙子が嫌いなんだと思います。雪子は看病が得意で、子供をあやすのが得意で、控えめな女性であり美しさもはかない感じです。逆に妙子は、手に職を持つ自立した女性であり、物まねが得意で、男性に対して積極的であり、華やかな美しさという感じです。

 

我々の生きている時代は、こいさんよりの時代になっているので、その辺が齟齬が出るのだと思います。(そして、私ももっと大人になれば雪子の良さがより深くわかるのかもしれません。)

金(ゴールド)とは何でしょう? 資本論10

以下参照です。

「(略)、これらの有価証券の価格は、利子率とは逆向きに騰落する。利子率が5%から10%に騰貴すれば、5ポンドの収益を保証する有価証券は、いまでは50ポンドの資本しか表さない。利子率が2.5%に下がれば、この同じ有価証券は200ポンドの資本を表わす。その価値は、つねに資本還元された収益にすぎない。すなわち、幻想的な資本について現行の利子率に従って計算された収益にすぎない。したがって、貨幣市場の逼迫時には、これらの有価証券の価格は、二重に低下するであろう。なぜなら、第一には、利子率が上がるからであり、第二には、これらの証券が、換金のために大量に市場に投げ出されるからである。」

(二重に下がる。マルクスは投資の勉強になる。)

 

「だが、金銀はなにによって富の他の諸姿態から区別されるのか?価値の大きさによってではない。というのは、価値の大きさは、金銀に対象化された労働の量によって規定されるからである。そうではなく、富の社会的性格の自立した化身、表現として区別されるのである。(中略)しかし、信用がゆらぐやいなや ーそしてこの局面は近代産業の循環においてつねに必然的にやってくるー 、こんどはすべての現実の富が実際にかつ突然に貨幣すなわち金銀に転化されなければならない。それはばかげた要求であるが、しかし制度そのものから必然的に生じてくるものである。」

「しかし、それは(生産が社会的管理のもとにおかれていないことが、富の社会的形態は一つの物として富の外部に存在する形態で、はっきり表れること。)、資本主義制度においてはじめて、もっとも明確に、かつ不合理な矛盾と背理とのもっともグロテスクな形態で現れる。なぜなら、(一)資本主義制度では直接的使用価値のための生産、生産者たちの自家使用のための生産は、もっとも完全に排除されており、したがって、富は、生産と流通との絡み合いとして現われる社会的過程としてのみ存在するからである。(二)なぜなら、信用制度の発展につれて、資本主義的生産は、富とその運動とのこうした金属的制限、物的であると同時に空想的でもある制限をつねに取りのぞこうとつとめるが、繰り返しこの制限に頭をぶつけるからである。」

(資本主義の繁栄と言っても、それは危うい。生産が社会的管理のもとにおかれていない!そして、そんな我々が最後に信じる者は金(ゴールド)w俺は、洪秀全太平天国の乱)が金を飲み込んで自殺した話が好きだ!金本位制の廃止で人類は制限を突破したと思っていたが、現在も金の価格は史上最高値を更新している。人類の天井へのヘディングは今も続いているwマルクスの理論は色あせない。)

 

「ニューマンが、銀行家は尊敬されるのに、高利貸しが憎まれ軽蔑されるのは、前者が金持ちに貸し付け、後者が貧乏人に貸し付けるからである、と述べているのは、事態の陳腐な表現である(F・W・ニューマン『経済学講義』、ロンドン、1851年、44ページ)。ニューマンは、ここには二つの社会的生産様式のあいだの違い、ならびにそれらに照応する社会的秩序のあいだの違いが介在しており、事態は貧富の対立でかたづけられるものではないことを見逃している。貧乏な小生産者の血を吸い取る高利は、むしろ、富裕な大土地所有者の血を吸い取る高利と手をたずさえて進む。」

(ブラックジョークに潜む欺瞞をマルクスは見逃さない。)

 

「(潜在的な資本家として、財産はないが勢力、堅実さ、能力、および事業知識をそなえた男が、信用が与えられ、資本主義の元では正当に評価されるのだという経済学的弁護論者による絶賛の流れから)、それがどれほどすでに目の前にいる個々の資本家にたいして、望ましからぬ一連の新しい山師たちを絶えず戦場に引っぱり出すにしても、資本そのものの支配を強固にし、この支配の基盤を拡大し、この支配が社会の下層からのつねに新しい兵力によって補充されることを可能にするのである。それは、中世のカトリック教会が身分、素性、財産にかかわりなく、人民のなかの裁量の頭脳をもってその教階制度[聖職者の位階制度]を構成したという事情が、聖職者支配と俗人の抑圧とを強固にする主要手段であったのとまったく同様である。支配階級に、被支配階級のもっとも優秀な人物を仲間に加える能力があればあるほど、その支配はますます堅固でまた危険なものとなる。

(中世のカトリック教会の支配と現在の資本主義の支配、それぞれを危険な共通点をマルクスは見出す。)

 

「「十五年前に私は高利反対論を書いた。というのは、当時すでに高利は非常にはびこっていて、私にはなんの改善も望めないほどであったからである。それ以来高利は思い上がり、いまではもはや悪徳や罪悪や恥辱であることに甘んじないだけでなく、あたかも人々にたいして大いなる愛とキリスト教的奉仕とを施しているかのように、まったくの美徳であり、また名誉であると自慢するようになった。恥辱が名誉となり、悪徳が美徳となったからには、いったいなにに救いを求めたらよいのか」(『牧師諸氏に、高利に反対するように説く』、ヴィッテンベルク、1540年)」

(時代が変わっても、悪の典型的な型は、普遍。自分を正しいと信じて、弱者をむさぼる。)